伊那谷と木曽谷。中央アルプスの険しい山並みを挟んで隣り合いながら、かつては塩尻まで大きく回り込まなければ行き来できなかった二つの谷を、まっすぐに結んだ峠道があります。権兵衛街道です。
元禄9年(1696年)、木曽で牛方を営んでいた古畑権兵衛らの手によって、木曽の宮ノ越から姥神峠、標高1523メートルの権兵衛峠を越え、伊那市坂下へ至る約36キロの山道が切り拓かれました。名は、開削を唱えた権兵衛にちなみます。
鉄道が通る以前、この峠道は物資を運ぶ幹線として重要な役割を果たしました。米が乏しかった木曽へ、伊那からは米や干し柿を積んだ牛馬が列をなして向かい、木曽からは漆器や曲げ物が運ばれてくる。そんな交易の道として栄えたことから、「米の道」とも呼ばれています。幕末から明治にかけては、木曽御嶽山への信仰を支える道としても、多くの参拝者に歩かれました。
峠が結んだのは、人と物だけではありません。水に乏しかった伊那側のために、木曽側から水を引いた木曽用水路も、この権兵衛峠を通っています。暮らしを支える水の道でもあったのです。
そして峠のふもと、TOMARINAのある西箕輪与地の地区には、「与地の伊那節」という民謡が今も歌い継がれています。伊那節はもともと、木曽御嶽山の山容を謳った山岳信仰の歌でした。権兵衛峠を越えていった馬方たちの間で歌われるうちに宗教的な色彩を薄め、座敷唄として親しまれるようになったと伝わります。夏の伊那まつりで踊られる伊那節の中でも、与地に伝わる節回しは元唄に最も近いといわれています。
峠道は、今も生きています。2006年に開通した権兵衛峠道路(トンネル)は、夏でも1時間半、冬は通行止めになっていた木曽と伊那の間を、季節を問わず30分で結ぶようになりました。伊那市川北町から西箕輪与地まで続くこの道は、今も「権兵衛街道」と呼ばれています。TOMARINAのすぐそばを、江戸の昔から続く一本の道が通っているのです。
米と漆器を運んだ馬の足音も、信仰の道を歩いた人々の祈りも、今に伝わる一つの唄も。すべてはこの峠道から始まりました。宿から少し想像を広げてみると、窓の外に見える山並みの向こうに、もうひとつの物語が続いています。